平安京以前、古代の豪族・秦氏が、未開拓地であった嵯峨野の地域で灌漑を造り農業をひろめました。
古代の豪族秦氏の生活圏は嵯峨野とこれ以東です。
秦氏と言われる人たちは新羅の国から日本に渡来してきた人たちと言われています。
嵐山に「葛野大堰」を築き、潅概を営んだことは、秦氏が高い技術水準を持っていたことを物語っています。
秦氏にゆかりある代表的な古墳が蛇塚古墳であり、秦氏の首長の墓であると推測されています。
双ケ丘の群集墳のなかで、双ケ丘1号墳が最も大きいもので、こちらも秦氏の首長の墓であると推測されています。
太秦広隆寺は、秦氏との深いつながりを持って創建されました。
秦都理が、本殿を造営して、土着の神を祭ったということです。
祭神は農耕神ですが、秦氏は本殿の東側に養蚕神社を建てました。
嵯峨野・太秦には、他にもたくさんの古墳が残されています。