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古代豪族秦氏を訪ねて

渡来人秦氏

京古代の朝鮮半島には、三韓時代(辰韓・弁韓・馬韓)がありました。この三韓の一つであった辰韓の国を倒して成立したのが、新羅(しらぎ)と言う国で、秦氏と言われる人たちはこの新羅の国から日本に渡来してきた人たちと言われています。
氏名の由来として、「ハタ」の語源は、新羅語であり、新羅語で「ハタ」は、海を意味し、朝鮮半島から海を渡ってきた人、ハタビト=海人こそが、源義であるという説があります。

また、平安時代初期の815年に編纂された「新撰姓氏録」に、「秦氏は、秦の始皇帝の末裔」という意味の記載がありますが、これは秦氏自らが、権威を高めるために、王朝の名を借りたというのが定説になっています。
また、秦氏の祖先の活躍は応神天皇の時代に始まり、雄略天皇の時代にも祖先が活躍したという伝説があります。

 しかし、歴史的な活動が顕著に認められるのは、推古天皇の頃の秦河勝(はたのかわかつ)からです。
京都盆地にも5世紀代から朝鮮系の人々により開発と定住が進み、この人々が「秦」姓となったのは6世紀以後からであり、秦河勝が広隆寺を造つた8世紀は、この国家統一事業の完成期でした。