京都盆地の西北方は現在では嵯峨野と呼ばれています。嵯峨野とは太秦広隆寺(写真左下)を中心として、東は双ケ丘、西は小倉山、南は桂川(大堰川)、北は北嵯峨の丘陵(写真右下)までの東西南北約4キロ平方の地域です。
古代の豪族秦氏の生活圏はこの嵯峨野とこれ以東で、現在の京都市北区の白梅町(はくばいちょう)附近までがその範囲であるといわれています。
そしてこの地域は、昭和の初期までは葛野(かどの)郡といわれていました。古代の豪族秦氏はここを生活圏にしていました。
また平安京ができるまでの山背国(今の京都)には、秦氏だけが住んでいたのではなく、南の方には高麗氏(京都府下の木津町の上狛=かみこま)、北の方に は賀茂氏(京都市北区上賀茂)、東の方には八坂の造(京都市東山区八坂)が住んでいました。この人たちが古代の京都の先住者です。