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古代豪族秦氏を訪ねて

葛野(かどの)大堰

秦(はた)氏は渡来民の中でも、技術水準や文化程度の高い一族として、注目される存在でした。
土木や灌漑事業にもすぐれていたことや、養蚕・機織をはじめ、酒を造ることなど、食生活の分野から衣生活・住居建設に至るまで、すぐれたものを持っていました。

葛野大堰

5世紀の日本は文化が未発達であったときで、秦氏が朝鮮からの土木技術を日本で応用し、未開拓地であった嵯峨野の地域で灌漑を造り農業をひろめました。
名勝嵐山に「葛野大堰」(写真=現在の葛野大堰)を築き、潅概を営んだことは、秦氏が高い技術水準を持っていたことを物語っています。

葛野大堰2

この桂川に大堰をつくり、水の量を調節し、農業を開発をした努力は、古代人を驚かせたことでしょう。
秦氏が活躍した時代の京都盆地は、広い平野もたくさんあったと思われますが、部分的に水田ができても広い範囲に水田を営むことはできなかったようです。
 嵐山の渡月橋のところで川をせきとめ、水量を高めて、川の西岸へ流し、川水路を通して田畑に引き入れるのです。
嵯峨野一帯を耕地化するためには、この大堰は大切なものであったことがわかります。/p>