嵯峨野はしっとりとした落ち着きを持つところである。 山紫水明の言葉のとおり愛宕山、嵐山、小倉山といった山なみを背景に、渓谷からぬき出てきた大堰川の流れ、広沢、大沢に写しだされる月の光など、この自然のあるがままの情景が文学への思索を深めさせる状況を創り出したのである。 嵯峨野へのアプローチはこの自然と文学の史跡から始まる。
嵯峨野の「落柿舎」は、芭蕉の門下十哲のひとり、俳人・向井去来のすみ家であった史跡です。
公家と武家文化の融合を自己の歩みの中に具現した西行法師は、奥嵯峨に住居を持っていました。
徒然草の著者・吉田兼好は、嵯峨野を一望出来る丘陵・双ケ岡の麓に無常所を設け思索しました。
新古今集を代表する歌人であり撰者であった藤原定家は、嵯峨野の小倉山の裾に山荘を営みました。