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嵯峨野の自然と文学史跡

藤原定家(定家に関わる史跡・常寂光寺、厭離庵、二尊院)

常寂光寺時雨亭跡

落柿舎から100mあまり歩くと、常寂光寺(写真上左)の山内に到る。 小倉山の裾から中腹に位置するこの寺は、藤原定家(鎌倉時代初期・1162〜1241)が山荘 ・時雨亭(写真上右、時雨亭跡)を営んだ所といわれる。

厭離庵

新古今集を代表する歌人であり撰者であった定家は、この山荘の近隣にある厭離庵(写真上)で、百人一首を選んだ。厭離とは世をきらうの意であり、世をきらう人の庵=厭離庵は定家ゆかりの尼寺として今も現存している。

二尊院

ここ嵯峨野の定家ゆかりの寺はこの外、二尊院(写真上)がある。いずれの寺も時雨亭の所在を自坊である、とする主張を もっている。しかし、近年、定家研究が急速に進展している。 市内、今出川烏丸に今も残る王朝時代の公家「冷泉家」から冷泉家文書が数多くでてきた。定家に係わるこの史料は定家の業績をさらに明確にしつつある。

藤原定家は、鎌倉初期の文化期に公家文化を担う代表的存在であった。彼は、情趣・あわれを尊ぶ有心体など新古今風を 大成した。彼が多く著した歌書の中に歌論として「近代秀歌」、歌集としては「拾遺愚草」が著名である。また、日記「名月記」は史料としての価値が高く冷泉 家文書と共に研究者の注目が今もっとも大きいものである。