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京都の庭園を鑑賞する

龍源院

龍吟庭

▲龍吟庭(りょうぎんてい)

龍吟庭1 龍吟庭2 龍吟庭3 一枝坦1 一枝坦2 一枝坦3 一枝坦4 一枝坦5 一枝坦6 こ沱底1 こ沱底2 こ沱底3 こ沱底4 こ沱底5 東滴壺1 東滴壺2

龍吟庭(りょうぎんてい)

室町時代、足利将軍に同朋衆として仕えた相阿弥が作庭したと伝えられている。須弥山式の枯山水庭園であり、三尊石組(中央に背の高い主石、 左右に主石より低い添石を配した構成)からなる。青々とした杉苔は広々と果てしなく続く大海原を表現し、石組みが陸地を表現している。中央に高く突出した 岩が須弥山である。須弥山の前にある丸い板石を遥拝石と言って、この理想・目的に一歩でも前進し、近づこうとする表現である。

一枝坦(いっしだん)

昭和55年(1980年)、喝堂和尚が設計・監督した現代の枯山水庭園である。丸く象った苔によって亀島を表現した斬新な庭となっている。また、奥の背の高い石組が蓬莱山を表し、小さい方の石組が鶴島である。砂紋の扱いも現代的である。

こ沱底(こだてい)

中国の臨済宗の開祖である臨済禅師が住んでいた中国河北に流れる『こ沱河』に因んで名付けられた。この庭にレイアウトされた右と左の基礎石は、聚楽第の遺構と伝えられており、『阿(あ)』と『吽(うん)』の石を持つことから『阿吽の石庭』とも呼ばれている。

東滴壺(とうてきこ)

昭和35年(1960年)、鍋島岳夫の作庭による現代の壺庭の傑作。白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。描かれる世界は壮大で、一滴のしずくが、やがて大河となり、大海原へと流れる様子(一滴潺々碧水煙る)を、わずか5つの石で表現している。

住所 京都市北区紫野大徳寺町82-1
交通 市バス 大徳寺前 徒歩2分

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