京都の庭園の歴史は古く、平安時代に貴族が池泉に船を浮かべて周遊した『池泉周遊式庭園』から始まり、平安時代後期になると仏教の末法思想が貴族の間で広がり、極楽浄土を現実の世界に表した『浄土式庭園』が作られました。
鎌倉時代には、池の回りを歩き、敷地内の様々な場所から鑑賞する『池泉回遊式庭園』が現れ、神仙思想や仏教思想を石組などで表現しました。
室町時代には、鎌倉時代に中国から茶とともに輸入された禅の精神を表現するものとして、水を用いずに白砂や石組などで構成した『枯山水庭園』が数多く作られ、これらは抽象芸術として優れた意匠を残しました。
安土桃山~江戸時代になると、武家などの住居に豪壮な石組などを用いた華やかな庭園が作られるようになり、書院などの建物から客人が池泉を鑑賞する『池泉鑑賞式庭園』が作られました。また、茶室の庭には『露地庭園(茶庭)』が作られ、これは、現在の京町屋の坪庭にも通じるものです。
明治時代には、自然の里山の風景的な作風が主流となり、背景に自然の風景を借りる『借景庭園』が多く作られました。
昭和期に入ると『枯山水庭園』が、抽象芸術という視点から西洋から注目されるようになり、この時期にも優れた『枯山水庭園』が作られました。
このように時代とともに庭園には流行があり、同一の庭園でも時代とともに手を加えられ変化しているものもあります。