庭園
今から350年程前、小堀遠州が伏見奉行の職に命ぜられた時、奉行所内に庭園を造った。徳川三代将軍・徳川家光は上洛した際に、その立派な庭園に感心して、褒美として5千石加増を与え、小堀遠州の出世の糸口となった。 昭和32年、伏見奉行所の跡が市営住宅地になったのを期に、庭園の石を御香宮神社へ移し、中根金作によって、この庭園は作庭された。