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角倉了以と嵯峨

嵯峨本と角倉与一

希代の事業家角倉了以を父にもつ与一は、よく父の事業を継ぐと共に文化人としても卓越した業績を残している。彼は、京都相国寺の僧儒学者藤原せいかに教えを受けるとともに江戸幕府4代の将軍に待講をつとめた朱子学者「林羅山」をせいかに紹介した人物である。
 また、与一自身も尾州候に招かれ書を講じたことがあり、知識人として大きな役割をはたしている。
晩年、嵯峨に隠棲した彼は専ら文筆にその道を求め、数多くの古書を刊行している。これを嵯峨本となずけている。
 また嵯峨本は、この頃に出版された幕府の伏見版・駿河版や朝廷の勅版本と並ぶものとして評価されている。

塵こう記顕彰の碑

また、嵯峨角倉家の一員である吉田光由は、知識人・与一の影響を少なからず受け、草創期の算学の発展の礎となった塵こう記を刊行している。
 彼は、庶民の生活に役立つ算学を志し、この書を著したもので和算の教科書として広く普及することになる。
 以後の珠算書および算学書はほとんどこれにならっている。塵こう記刊行350年を記念した顕彰の碑は、嵯峨野の常寂光寺境内にある。