ロゴ

角倉了以と嵯峨

大悲閣千光寺

嵐山渡月橋

嵐山渡月橋から大堰川左岸を上流に歩く約2キロの行程は、名勝嵐山の中でも最も眺望の美しいところである。真の嵐山はこの道を歩くことでその真価を知ることができる。この風光明媚の道の先端に森閑とした山中に大悲閣がある。

大悲閣千光寺

角倉了以は大土木事業の開発者である。彼の行った開削工事は難工事であり、危険度も高かったのである。彼は、事業に協力した人々の菩提を弔う寺として建立したのが、この大悲閣千光寺である。

大悲閣千光寺2

慶長19年(1614)二尊院の僧道空了椿を中興開山とし造寺した。本堂には了以の念持仏である千手観音と了以の木像がみられる。眼光鋭く手に鶴はしを持つ姿は、時代を旺盛に生きた人を今に伝える。
子の素庵が建立した「河道主事嵯峨吉田了以碑銘」は林羅山撰文である。また、儒学者堀吉庵の撰文により建立された寛 永10年の碑文には、「了以は生まれ乍らに敏捷で李せいに学び鄭国の知恵を身に備え、その豊暁さを二倍にした」と記されている。李せい・鄭国は、ともに春 秋戦国時代の中国の人で前者は行政官、後者は水利の技術者として名を残した人である。碑文は、了以を伝えるものとして意義がある。
なお、この大悲閣には、足利尊氏の学問の師である夢想国師の座禅石がある。