正保3年(1646)隠元禅師の教えを受けた独照同光が「直指伝心」を旨として創建したといわれるこの庵は、今も奥嵯峨の風情を多く残す竹林の間の小径の奥にある。
嵯峨野は女性の来訪の多い所である、とりわけ若い女性で賑わう所である。直指庵を訪れた女性の多くがこの寺に備えられている「思いで草」というノートに青春の心うちを書き残している。ノートは庵主の発意から提供されているものであり現代女性の「駆け込み寺」的性格を持つ。
安政の大獄で捕らえられた津村(村岡)のり子が謹慎し隠棲した所でもある。彼女の墓や与謝野晶子の歌碑などがある。