桓武天皇が平安京造営の時に、大内裏のそばに沼沢を拓いて造った苑地。清水が沸き出すことから神泉苑と名付られた。 当時は南北400m、東西200mにわたる広大な庭園で、 貴族が船遊びや観花、弓射、相撲などの行事や遊びを行った。 また、祇園祭は、当時、疫病の流行をたたりとして恐れ、66の鉾をここ神泉苑へ送ったたことに始まっている。 その後、徳川家康のニ条城築城によって敷地を削られているが、法成就池は今も平安期の面影を残している。 現在は真言宗東寺に管轄下にあり、毎年、5月1日から4日間行われる神泉苑狂言は壬生狂言の流れをくむものである。