二条城は、15代将軍徳川慶喜のときに、大政奉還が行なわれた場所として知られている。 もともと城郭としてではなく幕府の住居として建てられた性格のものである。 その真の目的は、御所にたいして目を光らせ、幕府の力を示すためでもあった。
まず、1603(度長8)年、家康は御所の守護として、また将軍の宿泊所として、二の丸御殿を造った。 また、3代将軍家光のときに本丸と石垣、さらにお壕を完成させた。
最初に造営された二の丸御殿は国宝となっている。 また唐門は、伏見城の遺溝である。御殿は全部で33室、800畳の広さがあり、桃山期の武家風書院造り。
本丸御殿は、天明の大火で焼けたが、移築復元された。 天守閣は江戸中期に焼けているが、天守台(天守閣跡)にたつと、京の三方の山々が一望できる。