嵯峨竹という竹薮に囲まれたところに源氏物語の舞台にもなった野宮神社がある。野宮は、平安時代、伊勢神宮に奉仕にいく未婚の皇女(斎宮と呼ばれる)が、出発に先立って俗界との接触を断って3年の間、みそぎを行ったところである。六条御息所もまた斎宮に選ばれていた。しかし皇太子の死によって、皇后となるはずであった六条の未来は閉ざされる。やがて六条より七つ歳下で義理の甥である光源氏との恋が始まる。・・・・・
時はたち、六条御息所の娘(前の皇太子の娘)が斎宮に選ばれた。六条御息所は、光源氏との苦しい恋に疲れていたので、斎宮に選ばれた娘の(野宮での)3年間のみそぎのあと、娘と共に、伊勢へ下ろうと考えていた。・・・・・
伊勢神宮の斎宮に対し賀茂神社の斎院がある。初夏、新しい斎院がみそぎにいく行列のなかに光源氏も加わるというので、見物車で出ようとする人達はその日を楽しみにした。二条の大通りは見物の牛車と人で隙間なく、女人達は御簾の下からのぞかせた十二単の袖口の趣味を競った。
六条御息所も忍び車で出かけていた。また葵上も遅れてやってきた。この葵上の車により六条御息所の忍び車は場所を押し退けられた。翌日、光源氏に車の場所争いのことを告げる人がいた。さすがに源氏は六条を気の毒に思い、すぐに訪問した。
お忍びで源氏は野宮を訪れる。心とは裏腹に六条は源氏と会おうとしない。
六条御息所の娘の野宮での3年間のみそぎの日がたち、宮中へのおいとまの日がきた。斎宮に母が付いていくということはこれまで例を見ないことであったが、六条御息所は、娘が年少であることを理由に、光源氏との恋から離れようとしていた。
六条母子の参内を見ようと貴族たちは皆官中に集まる。しかし、源氏は捨てていかれる決まり悪さで家にいた。
源氏は六条にもう少しやさしさが加わったらと思い、終日物思いを続けた。それ以上に、旅人となった六条は、どれほどの悲しみを味わっていたかと紫式部は書いている。
帝が変わり、六条は斎宮の任を解かれた娘とともに都に帰ってきた。まもなく六条は病におかされ、源氏に娘のいく末を託して死ぬ。
この源氏物語の主人公光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる)の墓は、嵯峨野の清涼寺のなかにある。
清涼寺は、源融が山荘・棲霞観を営んだ地である。