「京の町衆」により寄進された宝形造りの多宝塔がある
山内は小倉山の麓から中腹に広がり楓樹に覆われた明媚な所である。ここは藤原定家が山荘を営んだあとともいわれ文録5年(1596)本こく寺16世日上人が隠棲して寺になったといわれる。定家は「捨遺愚草」の中で「忍ばれんものとはなしに小倉山軒場の松に馴れて久しき」と詠んでいる。 本堂の後ろに元和6年(1620)につくられた檜皮葺の多宝塔がある。当時の「京の町衆」により寄進されたもので3間4方の宝形造りは当時としては完成度の秀れたもののひとつであった。
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