六波羅第・六波羅探題府とは 六波羅は、当時の五条大路(現在の松原通に相当)から七条大路までの鴨川東岸の一帯の地域を表す名称です。平安時代前期この地に、珍皇寺、六波羅蜜寺などの寺院が建立されましたが、平安時代の後期には平氏が邸宅を構えました。平清盛の代には邸宅は四町四方という広大なものとなり、さらに清盛邸を中心に平氏一族の邸宅や家臣の住居が並び、平氏は絶頂を極めました。これらの邸宅を平氏六波羅第といいます。しかし1181年に清盛が亡くなると平氏の勢力は急激に衰え、1183年平氏の都落ちの際に六波羅第は平氏自らの手で火が放たれました。
六波羅第跡・六波羅探題府跡について 六波羅蜜寺の境内を入ってすぐの右脇に「此附近 平氏六波羅第 六波羅探題府」という石碑が立っています。さらに境内には鎌倉時代に造られた平清盛坐像(重要文化財)が安置されています。また清盛の塚もあります。 |
|
住所 | 京都市東山区五条通大和大路上ル東 六波羅蜜寺内 |
交通 | 市バス 清水道下車、徒歩7分 京阪電車 清水五条駅下車、徒歩7分 |
より大きな地図で 平氏六波羅第跡・鎌倉幕府六波羅探題府跡 を表示