聚楽第(じゅらくだい)とは 安土桃山時代の1586年(天正14)、豊臣秀吉は、京都に絢爛豪華な城郭・聚楽第(じゅらくだい、又は、じゅらくてい)の築城を開始し、翌1587年(天正15)に完成させ、大坂城から移り住みました。その場所は平安時代の平安宮(大内裏)跡の北東部分にあたります。東西約600メートル、南北約700メートルと考えられ、後に徳川家康が造った二条城よりもさらに大きな規模でした。この聚楽第の城郭は内郭と外郭からなり、内郭には本丸、北之丸、西之丸、南二之丸がありました。中でも本丸は、東西約300m、南北約400m(東西は現在の大宮通〜裏門通あたり、南北は現在の一条通〜下長者町通あたり)にもおよび、四方には濠が廻らされていました。濠は幅20メートルから43メートル、深さ6メートルから8メートルありました。
聚楽第跡について 中立売通に面した正親(せいしん)小学校の前に「此付近 聚楽第址」という石碑ならびに「この付近 聚楽第本丸西濠跡」という説明板が建てられています。また、そこから中立売通を東へ歩いた中立売通大宮の北西角(ハローワーク西陣の向かい側)には、「此付近 大内裏 及 聚楽第東濠跡」という石碑が建てられてします。 |
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住所 | 「此付近 聚楽第址」という石碑ならびに「この付近 聚楽第本丸西濠跡」という説明板: 中立売通裏門 正親(せいしん)小学校前 「此付近 大内裏 及 聚楽第東濠跡」の石碑 : 中立売通大宮の北西角 (ハローワーク西陣の向かい) |
交通 | 市バス智恵光院中立売より徒歩 |
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