足利義政が造営した山荘・東山殿に始まる。義政の死後、慈照寺となった。
▲国宝・銀閣
正式名を慈照寺という。 文明14年(1482)、足利8代将軍義政が、山荘として東山殿を造営した。 山荘・東山殿は義政の死後、臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺と名付けられた。この東山殿は、後の文化に大きな影響を与え、ここから東山文化が誕生した。 なかでも銀閣は二層からなり下は心空殿、上は潮音間と呼ばれ、国宝に指定されている。また池泉回遊式庭園は、義政と善阿弥が指導にあたり造営された。さらに東求堂の一室である同仁斎は、初めての四畳半茶室として注目されている。 東求堂も国宝に指定されている。
▼銀閣寺総門
▼総門をくぐって境内までの参道
▼銀沙灘
▼向月台
▼国宝・東求堂
▼善阿弥作の池泉回遊式庭園
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