高瀬川の開削により賑わいをみせた
▲高瀬川一之船入跡
江戸初期・慶長16年(1611)に、京の豪商・角倉了以により人工の河・高瀬川が開削され、大阪までの水運が開けた。 この開削事業により京と大坂との商業の交流がいっそう盛んとなり、高瀬川沿いの木屋町には多くの材木商や料理店が賑わいをみせた。 このように高瀬川沿いの 木屋町という名前の由来は、江戸時代に材木商が多く軒を連ねていたことによる。 木屋町の御池〜三条〜四条間は、現在では若者にも人気のある繁華街となっているが、御池から少し北へいったところにある 一之船入跡は往時の面影を再現している。
▼夜の木屋町(三条〜四条間)
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