晩年の光源氏は嵯峨院で2〜3年過ごした
この地は嵯峨天皇の離宮としてつくられ、天皇退位後、嵯峨院となりました。その後、貞観18年(876)大覚寺と命名されました。源氏物語の『宿木』の中で語られる薫の話によると、晩年の光源氏は出家し、この嵯峨院で2〜3年過ごしたとされています。