石川丈山が寛永17年(1640)に建てた山荘
石川丈山は、江戸時代前期の武士であり、武士をやめた後は、漢詩人となりました。三河生まれの丈山は、徳川家に仕えていましたが、武士をやめ、各地を転々としたのち、京都の一乗寺に住居を構えました。この住居に中国の漢から宗までの36詩仙の額を掲げたため、詩仙堂と呼ばれるようになりました。 庭園にあって、快い竹の音を響かせる鹿おどしは、丈山が考案したものと考えられています。
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