嵯峨野と文学

兼好法師
(兼好法師に関わる史跡・双ケ岡、法金剛院)

双ケ丘の写真

京都洛西・嵯峨野を一望出来る丘陵が、古都の西方にある。人はこれを双ケ丘(写真)と呼んでいる。一の丘、二の丘、三の丘の3つの丘から成りたち、古墳時代の墳丘もある。

法金剛院の写真

この双ケ岡の麓に法金剛院(長泉寺)(写真)がある。吉田兼好(平安末期から鎌倉初期・1283〜1350)がここに無常所を設け思索をした。彼は広い見聞とするどい観察眼をもって、つれづれなるままに書き下した著書が徒然草である。

また兼好は、双ケ丘の粋法師といわれると共に、こよなく桜の花を愛したようである。今も、法金剛院(長泉寺)の周辺は桜の季節に、華やかな美しさを醸し出し、旅人の足を止めている。

吉田兼好の生きた時代は平安末期から鎌倉初期の政治・経済の混乱と末法思想の流布の時代である。彼は京都吉田神社の神官の家に産まれ、後宇多院に仕え、上皇の死後、動乱期の人間・社会に対する深い洞察をもって簡潔・自由な筆致で随筆の傑作・徒然草をつくりあげたのである。