江戸時代の俳人・向井去来の草庵跡である。かれは芭蕉門下(蕉門)十哲の一人であった。芭蕉は、元禄4年(1691)ここを訪ね嵯峨日記を書いている、ここに来ると今も茅葺き屋根の庵があり、土間の荒壁に蓑と笠がかけられ、「主の在・不在」をしめす名残りが留められているのも印象的である。
去来の墓はこの庵の北裏手にある、小さい去来の墓をみると、慎ましく質素に暮らしていた姿が偲ばれる。しかし去来を偲びここに集う人々の多いことが一見して良くわかる、それは俳諧を好む人たちが絶えず墓参に訪れていることである、また これらの人たちの記念句碑が林立している、 近くに西行井戸もみられる。