京都盆地の西北に嵯峨野がある。北は広沢の池の後方に見える北嵯峨の丘陵、西は小倉山、南は大堰川、東は双ケ丘までの東西南北約4キロの地域を指す。この地域は、観光地として知られているが、市の中心部とさほど離れていないにもかかわらず、自然環境が今も残る地である。この自然を感じながら嵯峨野の小径を散策する人も多く、歴史や文学に関わる史跡も豊富である。
秋は、小倉山を始め嵯峨野の各所で紅葉が美しい季節である。特に小倉山の麓、常寂光寺や二尊院あたりでは紅葉が満喫できる。その北方、古い町並が残る鳥居本周辺には、愛宕神社への門前町としての風情が残る。
源氏物語の舞台として知られる野宮神社あたりの竹林も嵯峨野らしい景色である。紅葉の秋は嵯峨野散策には絶好の季節であるが、春もまた、嵯峨野には花の名所が多い。
古代において嵯峨野は沼沢地であった。それは、丹波の渓谷から流れる大堰川がしばしば氾濫したことによる。嵯峨野の地を田地化するために、渡来豪族秦氏が大堰川に堰を作り氾濫を食い止め、その結果、嵯峨野が開拓された。だから、大堰川周辺や北嵯峨の丘陵など、この地は、京都としては珍しく広々と感じられる。
平安時代、貴族の山荘・別邸が多く建てられた。また世捨て人の隠棲地でもあった。平家物語に登場する祇王・祇女、小督の局、そして滝口入道と横笛の悲恋の舞台であり、尼寺や比較的こじんまりとした史跡が多い。
江戸時代には芭蕉門下十哲のひとり、向井去来もこの地で閑居した。芭蕉もまた嵯峨野を訪れ嵯峨日記を残した。
アベックだけでなく、ひとり歩きが風景に溶け込むように感じられるのもこのような嵯峨野の歴史と自然の調和によるものであろう。
嵯峨野は、散策が似合うところである。とはいえ、渡月橋を出発し、奥嵯峨の鳥居本方面へ、なだらかではあるが上り坂を進み、再び下りてくるのは、健脚の芭蕉ならともかく一般には疲れる。鳥居本方面への上りはバスなどを使い、鳥居本から坂道をゆっくり下って散策するのもの嵯峨野めぐりの一つの方法である。