人康親王の菩提を弔うため開創
正式には、臨済宗南禅寺派 柳谷山 徳林禅庵といいます。室町時代の1550年に、人康(さねやす)親王の末葉、雲英正怡禅師が人康親王の菩提を弔うため開創しました。境内には、人康親王、蝉丸供養等(室町時代)、茶所の4体石仏(鎌倉時代)、荷馬の井戸、飛脚の釜があります。地蔵堂に安置している地蔵菩薩像は、平安時代初めに、小野篁(おののたかむら)が、一度冥土へ行った際に生身の地蔵尊を拝んだことで蘇った後、一木から六体の地蔵を彫りだしたうちのひとつという伝説があります。初めは大善寺に六体の地蔵尊が安置されていましたが、平安時代末期の保元年間(1156~59)になり、平清盛が西光法師に命じて、大善寺も含め京へ出入りする街道口の6ヶ所に分けて安置するようになり、ここ山科の地に分祀されたものと伝えられています。江戸時代後期の井戸手水
井戸手水の側面には『定飛脚 宰領中 文政四年巳年六月吉日』とはっきり刻まれているのが読み取れる
人康親王供養塔
人康親王供養塔は地蔵堂のさらに奥にある
地蔵名 | 山科地蔵 |
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寺名 | 徳林 |
街道名 | 東海道 |
住所 | 山科区四ノ宮泉水町16 |
交通 | 京阪山科15分 |
TEL | 075-583-0353 |
拝観時間 | 自由拝観 |