室町時代の応永4年(1397)に第3代将軍・足利義満が築いた山荘・北山殿を義満の死後、その子の第4代将軍・足利義持が禅寺にしたのが金閣寺の起こりです。金閣は3層の桜閣で、初層が藤原期の寝殿造、第2層が鎌倉期の武家造、第3層が大陸の唐様式仏間であり、異なった様式を独創的に折衷させています。また、金閣と鏡湖池を中心とした池泉回遊式庭園は、衣笠山を借景した名園としても知られています。この時代の文化を北山文化と言い武家の公家文化への憧れとともに、明との貿易を盛んにし、禅宗を通して大陸文化の影響を受けています。
金閣寺
市バス金閣地道
最初の金閣は、昭和25年、同寺の一僧の放火により全焼した。昭和30年に復元されている。
初代将軍の足利尊氏が夢窓疎石に帰依して以来、禅宗の臨済宗が将軍家の保護のもとに繁栄しました。第3代将軍・足利義満は、南宋の制度に倣って、五山・十刹の制を整え、南禅寺を五山の上に置き、京都五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)と、鎌倉五山を定め、五山の次ぎにくる禅寺を十刹と制定しました。
南禅寺
地下鉄東西線 蹴上下車 徒歩約8分
臨済宗南禅寺派の大本山。 三門(写真)は、2層からなり高さ22mもある。 国宝の方丈は、大方丈と小方丈からなっており、ともに狩野派の筆による襖絵がみられる。
天龍寺
京福電鉄嵐山駅下車徒歩1分
南北朝争乱を通し、室町幕府権力を確立した足利尊氏が、後醍醐帝を慰霊するため夢想国師を開山として建立した。
相国寺
市バス 同志社前下車 徒歩約5分
臨済宗相国寺派の大本山。 始まりは足利義満が、10年の歳月をかけ、大伽藍を築いたのことによる。開山は夢窓疎石である。
8代将軍・足利義政は、応仁の乱の後、文明14年(1482)に山荘・東山殿を造営しました。東山殿は義政の死後、臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺と名付けられました。この東山殿は、後の日本文化に大きな影響を与え、ここから東山文化が誕生しました。また自然の地形を取り入れた池泉回遊式庭園は、義政と善阿弥が指導にあたり造営され、一部に枯山水の技法も巧みに取り入れられています。 さらに東求堂の一室である同仁斎は、初めての四畳半茶室となっています。
銀閣寺
市バス 銀閣寺前
足利義政が山荘としてを造営した東山殿は、後の文化に大きな影響を与え、ここから東山文化が誕生した。
銀閣寺・銀沙灘
形は中国の西湖を模す。約30cm盛り上がった砂紋はさざ波を表わしている。
銀閣寺・東求堂
東求堂の一室である同仁斎は、初めての四畳半茶室