▲大極殿跡の石碑
平安宮朝堂院大極殿(だいごくでん)とは
平安時代、平安京の北部の中央に位置した平安宮(大内裏)は東西約1.1キロ・南北約1.4キロの広さで、その中心には国の重要な儀式が行われた朝堂院がありました。朝堂院は東西約200メートル、南北約470メートルあり、全体が回廊で囲まれていました。その朝堂院の正殿として華麗な大極殿がありました。平安時代の中期から後期になると度々火災で焼失し、1177年(安元3年)の大火のあとは再建されることはありませんでした。
平安宮朝堂院大極殿跡について
794年、都が長岡京から平安京へ遷都されましたが、その平安京の中央を通るメインストリートである朱雀大路は現在の千本通にあたります。その千本通と丸太町通の交差点の北西の角の歩道に大極殿の説明板があり、南東の角の歩道には朝堂院の説明板があります。大極殿の説明板のすぐ北側の小さな児童公園 (内野児童公園)の中には大極殿跡の石碑が建てられています
。
また、明治28年に建てられた平安神宮の社殿は平安京の朝堂院を8分の5の規模で再現し、平安神宮拝殿は大極殿に相当します。
住所 | 朝堂院跡の説明看板:京都市上京区千本丸太町交差点 南東角の歩道 大極殿跡の説明看板 :京都市上京区千本丸太町交差点 北西角の歩道 大極殿跡の石碑 :京都市上京区小山町 内野児童公園(千本丸太町交差点の北西すぐ) |
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交通 | 市バス千本丸太町すぐ |