仁寿年間(851~854)、慈覚大師円仁が中国の天台声明を移入し、その道場として創建したと伝えられる。 のちの平安時代末、融通念仏の開祖・良忍が諸派の声明を統合して、再興した。 以後、声明音律のセンターとなった。寺の両側を流れる呂川と律川の清流(写真)の名は、声明の音階を表している。 「呂律」がまわらないという言葉はここからきている。 律川の上流には音無の滝が流れる。滝の音の静けさからそのように呼ばれているが、「良忍が滝の音で声明が乱されるのを憂い、呪文で音を止めた」と伝えられている。 日曜日には、声明が唱えられる。写経もできる。