臨済宗相国寺派の大本山。 始まりは足利義満が、10年の歳月をかけ、大伽藍を築いたのことによる。開山は夢窓疎石である。この落慶法要には1000人の僧が列席したと伝えられている。 相国寺は、京都五山の禅宗寺院を統括して権力をふるい、また禅宗文化の中心でもあった。現在も境内を修業僧が行き来する様子には緊張感がある。金閣寺や銀闇寺も相国寺の塔頭にあたるもの。 応仁の乱により焼失したが、後、豊臣家、徳川家の援助で再建された。しかし、天明の大火に遭い、現在みられる法堂(豊臣秀頼寄進)は、この大火を逃れた相国寺で最も古い建物であり重要文化財に指定されている。