真言宗の古刹。 東山を背景とした敷地にゆったりと諸堂が建ちならぶ。起源は、弘法大師が法輪寺という小寺を建てことに起る。建保6年(1218)には、中国・南宗より帰ってきた月輪大師が再興した。その時に、境内から泉が涌きでてきたので、寺の名を泉涌寺と改めたと伝えられている。
観音堂に安置されている観音像は、月輪大師の弟子である湛海律師が南宋から持ち帰ったものであり、楊貴妃観音と呼ばれている。
仏殿は、徳川家網の再建によるもので重要文化財。運慶作と伝えられる三尊(釈迦、弥陀、弥勒)を安置、また天井には狩野探幽の画が描かれている。