慶長3年(1598)に美濃の豪族石河貞政が創建した妙心寺の塔頭のひとつ。優れた絵を蔵し、書院と茶室の襖絵は山楽、方丈の襖絵は狩野山雪の水墨画といわれている。
江戸時代の作庭と伝えられる枯山水庭園は方丈の南、東、及び書院前庭の三つからなっている。特に方丈の南庭は、庭石を七五三風に組んだもので、飛び石伝いに方丈東庭に通じている。
慶長3年(1598)に美濃の豪族石河貞政が創建した妙心寺の塔頭のひとつ。優れた絵を蔵し、書院と茶室の襖絵は山楽、方丈の襖絵は狩野山雪の水墨画といわれている。
江戸時代の作庭と伝えられる枯山水庭園は方丈の南、東、及び書院前庭の三つからなっている。特に方丈の南庭は、庭石を七五三風に組んだもので、飛び石伝いに方丈東庭に通じている。