平安時代から明治維新までの時代行列『時代祭』

行列の構成

10月22日 時代祭(じだいまつり)

正午に御所建礼門を出て、平安神宮へ向けて維新勤王隊の鼓笛を先頭に、豊公参朝列、室町幕府執政列、平安時代婦人列、延暦武官行進列など、全2000名余が出発します。行列は、明治維新から平安時代の延暦時代まで時代をさかのぼる形で繰り広げられます。丸太町通から烏丸通、御池通、三条、神宮道を通って同神社までの約4・5キロを巡行、行列の長さは2キロにも及びます。

明治維新時代

維新勤王隊列

維新勤王隊列

明治維新の際、幕府の遺臣が東北地方で反抗した時、丹波の国北桑田郡山国村の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模したもの

幕末志士列

桂小五郎(かつら こごろう)、西郷吉之助(さいごう きちのすけ)、坂本龍馬(さかもと りょうま) 、中岡慎太郎(なかおか しんたろう)、高杉晋作(たかすぎ しんさく)

江戸時代

徳川城使上洛列

徳川城使上洛列

徳川幕府は朝廷の大切な儀式や大礼、年始などの際には城使を上洛させていました。

江戸時代婦人列

江戸時代婦人列

和宮(かずのみや)、蓮月(れんげつ)、玉瀾(ぎょくらん)、梶(かじ)、吉野太夫(よしのたゆう)、出雲阿国(いずものおくに)

安土桃山時代

豊公参朝列

豊公参朝列

豊臣公参朝のうち、慶長元年(西暦1596年)5月の秀頼初参内と、同2年9月の元服の時は最も盛儀であったと伝えられていますが、本列はその様相を模したものです。

織田公上洛列

織田公上洛列

応仁の乱の後京都は非常にさびれ、皇室も衰微してしまいました。永禄11年(西暦1568年)9月、織田信長はお召しに応じ、兵をひきいて上洛し、皇居を修理、都の復興に努めて民を落着かせました。本列はその織田公上洛を模したものです

 

室町時代

室町幕府執政列

室町幕府執政列

足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現したもの

室町洛中風俗列

十六世紀、室町時代後半に経済力を蓄積した京の町衆によって盛ん に催された風流踊りを再現したもの

吉野時代

楠公上洛列

楠公上洛列

元弘3年(西暦1333年)5月、後醍醐天皇が隠岐より還幸される際、楠正成は一族郎党を率いて兵庫に迎え、先導して京へ上洛されました。本列はその楠公を中心とした行列です。

中世婦人列

中世婦人列

大原女、桂女、淀君、藤原為家の室、静御前

鎌倉時代

城南流鏑馬列

城南流鏑馬列

承久3年(西暦1221年)5月、後鳥羽上皇は朝廷の威信回復をはかり、城南離宮に近畿10余国の武士1700余人を集め、流鏑馬を盛大に行ないました。その様子を表現したもの

藤原時代

藤原公卿参朝列

藤原公卿参朝列

平安時代中期以降、藤原氏が隆盛を誇った時代の文武両様の姿を現したもの

平安時代婦人列

平安時代婦人列

巴御前、横笛、常磐御前、紫式部と清少納言、紀貫之の女(きのつらゆきのむすめ)、小野小町、和気広虫、和気清麿呂、百済王明信

延暦時代

延暦武官行進列

延暦武官行進列

大将は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を模したもの

延暦文官参朝列

延暦文官参朝列

延暦時代の公卿諸臣が朝廷に参上する状況を模したもの

神饌講社列

前列

神幸列

白川女献花列

弓箭組列