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京都時代別散策・平安時代

平安時代の初め、最澄と空海が唐から密教の教えを持ち帰る。

平安京遷都の二年後(796)平安京への入口である羅城門の東西に「東寺」と「西寺」(さいじ)という2つの官寺(国立の寺院)が建立されました。最澄と 空海は804年に唐に渡り、それぞれ天台宗と真言宗を学んで密教の教えを持ち帰りました。当時の貴族の間では現世利益が得られるとする密教が人気となり、 最澄は桓武天皇の庇護を受け、また空海は嵯峨天皇から823年に東寺を賜り、東寺は真言密教の根本道場として栄えました。(西寺は早い時期に衰退しまし た)

東寺

JR京都駅八条口から徒歩15分

東寺

平安京への入り口である羅城門の左右に築かれた東西の寺のひとつ。建立の最中、空海により真言密教の根本道場とされた。

大覚寺

市バス大覚寺

大覚寺

嵯峨天皇の離宮としてつくられ、天皇退位後仙洞嵯峨院となる。さらに貞観18年(876)、嵯峨天皇の長女・正子内親王が嵯峨院を大覚寺と号し、真言宗大覚寺派大本山の寺院が出発した。

青蓮院

市バス神宮道3分

青蓮院

天台宗総本山比叡山延暦寺の門跡寺院で梶井・妙法院とともに天台三門跡のひとつである。

10~11世紀は、藤原氏の栄華と国風文化の時代。

関白として権勢を振るった藤原道長は晩年、極楽浄土に往生することを願い法成寺(現存しない)を建て、また、道長の子・頼通が建てた平等院鳳凰堂は現世に極楽浄土を表現した遺構です。

また同じ頃、一条天皇の皇后・定子(藤原道隆の娘)に仕えた清少納言は随筆「枕草子」を豊かな才能で著し、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)に仕えた 紫式部は、宮廷生活の中での男女の恋愛感情を「源氏物語」でこまやかに表現しました。これらは国文学の名作として現在に伝えられています。

平等院

京阪宇治駅から徒歩10分

平等院

もとは光源氏のモデルといわれる源融の別 荘であった地。 のちに関白藤原道長が譲りうけ、その後、永承7年(1052)に道長の子頼通 が寺とした。

廬山寺

市バス府立医大病院前から徒歩3分

廬山寺

紫式部の邸跡と伝えられ、 本堂前の庭は源氏の庭と呼ばれ昭和40年の作庭、紫式部にちなんで美しいキキョウが植えられている。

平家の繁栄と滅亡の時代。平家物語は悲運の女人物語を伝えている。

平清盛に捨てられた白拍子の祇王や、滝口入道との禁断の愛に散った横笛、清盛の娘・建礼門院徳子など、平安時代の末期には悲しい女人物語が伝えられています。

祇王寺

市バス大覚寺徒歩20分

祇王寺

平家物語の哀話で知られる白拍子の祇王・その母・妹の祇女・同じ白拍子の仏御前の合葬墓と平清盛の供養塔、さ らに5人の木像がある。平清盛の愛が祇王から遠のき仏御前に移り、やがて仏御前も清盛のもとを離れることになる、尼として出家して嵯峨の庵に住まいする祇 王を訪ね、仏御前も仏門の道に入る。

滝口寺

市バス大覚寺徒歩20分

滝口寺

平家物語・源平盛衰記に記される悲恋物語の主人公斉藤時頼(滝口入道)と横笛の座像が安置されている。

宮中の警護に当たる滝口の武士時頼と、建礼門院の雑仕女横笛のはかない恋慕と悲恋、そして時代を背景として生きた二人の物語りである。

寂光院

市バス・京都バス大原から徒歩20分

寂光院

文治元年(1185)の壇の浦の合戦で平家は滅びたが、建礼門院はひとり源氏の手によって救われた。 その建礼門院は、寂光院の傍に庵を結んだ。